【東京】 【三宅島】
伊豆諸島の中では大島、八丈島についで3番目に大きい島、三宅島。
明治時代から4回に渡り噴火を繰り返す雄山の脅威にさらされながら、その都度野鳥の天国として復活してきた歴史を持っています。
2000年の大爆発により全島民避難となりましたが、今後の復興を期待したい三宅島をご紹介しましょう。
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【阿古港へ入港】

 東京・竹芝桟橋から東海汽船の「すとれちあ丸」に乗船して約7時間、三宅島の象徴である雄山に迎えられて阿古港に入港しました。
 撮影日:1999年5月15日
三宅島・阿古港
【すとれちあ丸】

 東海汽船の「すとれちあ丸」は東京・竹芝桟橋と三宅島を経由して八丈島までを結んでいます。
 八丈島から東京へ向かう「すとれちあ丸」が阿古港へ入港してくる所を見ることができました。
 撮影日:1999年5月15日
入港するすとれちあ丸(1) 入港するすとれちあ丸(2)
【三本岳】

 阿古港の沖に見えるのが三本岳。
 絶好の磯釣り場だそうです。
 撮影日:1999年5月15日
三本岳
【1983年噴火の爪痕】

 1983年10月3日の雄山噴火で阿古地区は溶岩流に襲われ、大きな被害を受けました。
 画像にあるのは溶岩に覆われた阿古小学校、中学校です。
 溶岩流の恐ろしさを末代まで伝えるかのように当時のままの状態となっています。
 撮影日:1999年5月15日
噴火の爪あと(1) 噴火の爪あと(2)
【伊豆岬灯台】

 三宅島の北部にある伊豆地区。
 明治42年開設という古い歴史を持つ伊豆岬灯台からは、視界が良ければ伊豆諸島や富士山が見えるそうです。
 撮影日:1999年5月16日
伊豆岬灯台
【大久保浜】

 三宅島特有の黒い砂浜の海水浴場です。
 昔は定期船がここから出ていたそうです。
 撮影日:1999年5月16日
大久保浜
【島役所跡】

 三宅島の地役人だった壬生家の屋敷で1534年建造の伊豆七島では一番古い建造物だそうです。
 撮影日:1999年5月16日
島役所跡
【三七山からの風景】

 三宅島の西部にある標高93mの三七山(さんしちやま)は、1962年(昭和37年)の噴火時に溶岩流が作り出した山です。
 三七山から同じく溶岩流でできたひょうたん山(64m)を眺めてみました。
 撮影日:1999年5月16日
三七山 付近
【サタドー岬からの風景】

 三宅島の西部にあるサタドー岬。
 "サタドー"とはヒンズー語で「地獄」を示し、真っ黒い溶岩で出来た眺めを示しているとか。
 岬も断崖の上にあり勇壮な風景を眺めることができます。
 撮影日:1999年5月16日
サタドー岬 付近
【長太郎池】

 三宅島の南西部にある坪田地区には、溶岩で海を仕切った形の長太郎池があります。
 海水浴場として泳ぐこともできるというのはちょっと驚きですね。
 撮影日:1999年5月16日
長太郎池
【大路池】

 坪田地区の少し奥にある大路池(たいろいけ)は周囲2km、伊豆七島の中で一番大きい湖だそうです。
 まわりはうっそうとした原生林でとっても静かです。
 撮影日:1999年5月16日
大路(たいろ)池
【新澪池 跡】

 1983年10月3日の雄山噴火で火口が近くに出来たこともあり池の水がすべて蒸発してしまい、跡地となってしまった新澪池(しんみょういけ)。
 今は木々の緑に覆われています。
 撮影日:1999年5月16日
新澪池 跡
【三宅島を後に東京へ】

 阿古港から往路と同じく「すとれちあ丸」に乗船して東京へ。
 雄山に見送られて竹芝桟橋まで6時間近くの航海に向かうのでした。
 撮影日:1999年5月16日
遠ざかる三宅島

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